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節約生活や読書の記録を綴ります

三浦綾子 三浦光世 『綾子・光世 愛 つむいで』 北海道出版社

三浦綾子 三浦光世 『愛 つむいで』 北海道出版

[概要]

三浦綾子記念文学館5周年を記念して刊行された書。北海道の自然を背景に、在りし日の綾子さんと光世さんの姿、そして綾子さんの心の琴線に触れる言葉と光世さんの言葉がたくさん添えられています。

 希望を失い、心が折れそうになった時や、自分の心の醜さ、弱さを見つめた時に、手を差しのべてくれる言葉がたくさん詰まっています。

[感想]

三浦綾子さんの作品と出会ったのは22歳の時です。その時、すでに三浦綾子さんは故人でした。大学卒業後、地元を離れ働いていたのですが、上司に叱責され、落ち込み、毎日が文字通り地獄でしかありませんでした。

 そんな時に偶然三浦綾子さんの『塩狩峠』を知ります。乗客を助けるため、自分の命を犠牲にした、主人公の人としての在り方に心をうたれました。

 当時の私は、「今の辛い状況も、三浦綾子さん(の作品)に出会うためだった」と思うくらい、心が惹きつけられたのです。

 三浦さんは13年の闘病生活中にクリスチャンとなり、42歳で作家生活に入った方です。人の中にある「醜さ」「愚かさ」を深く見つめるからこそ「優しさ」や「愛」「希望」を見いだして生きていけることを伝えています。私は、多くの日本人同様、三浦さんのように教会に通うようなクリスチャンではないですが、三浦さんが伝えようとしていることは、普遍的なものだと伝わります。

 三浦さんの作品を通して、人としてのあるべき姿、「良心」に気づかされた気がします。「良心の呵責」という表現もありますね。

 この「良心」-私は、車のブレーキのようなものと受け止めました。自分が何か怒りや負の感情でいっぱいになり、優しさや希望を投げ出してしまいそうになった時にブレーキをかけてくれるような。

 本書の中でハッとさせられた言葉があります。

 自分自身の身に起きたことなら嗤えぬことを、他人事なら嗤うという冷たさは、決して許されることではあるまい。嗤うべきことは、他人の失敗や不幸を見て嗤うおのれ自身の姿ではないだろうか。

 人を嗤った時、その時の自分こそ嗤われる人間なのだ。

 また、言葉の大切さ、たったひとつの言葉が人の生きる支えにもなれば、同時に傷つけることもあることを伝えていました。

 私は当時、上司から「あんたは本当に何もできないんだな。人間のクズ。」とあざ笑われ、それを今でも引きずっています...そして、その人が社会的に成功している姿を見ると、負の感情に押しつぶされそうになります。だから、忘れて、楽しみを増やし、記憶を塗り替えたいと思いますが、難しくて…

 そんな私ですが、三浦さんの作品を心に留めて、人としての優しさを見失わず、自分の人生を大事に生きていきたいなと思います。

垣谷美雨『あなたの人生、片づけます』

垣谷美雨『あなたの人生、片づけます』双葉文庫 2013年

 

[概要]

「部屋も心もスッキリお片づけ小説」(本書帯より)

断捨離、片づけをテーマにした短編作品集。片づけ屋・大庭十萬里が、片づけられない原因を心の問題としてとらえ、部屋とともに人生を片づけ、立て直していきます。

[感想]

 帯に示されているように、片づけ、断捨離をテーマにした作品です。この作品は、気軽に読め、なおかつ自分のモヤモヤや荷物を整理し、スッキリさせて、生活そのものを楽しもうと思える作品です。
 最初は汚部屋住人のアラサーOL春花のお話です。職場でいいように使われ、言いたいことを言えずにストレスを溜め込んでいる春花。

 心の状態が部屋に現れていて、少しずつ部屋を片づけていくにつれ、気持ちが明るくなっていきます。そして、最期には丁寧に、生活そのものを楽しもうという気持ちになりました。

 次は、妻に先立たれた木魚職人、展蔵。家事はすべて妻がしていたため、お茶碗ひとつ洗うことなく、掃除、片付けを多忙な娘が来てしていました。しかし娘がストレスを溜め込んで、本書の主人公である片づけ屋、大庭十萬里に依頼しました。そして、展蔵に買い物の仕方からタンス整理、料理を教え、展蔵は自分の生活を見つめ直すようになり、娘と向き合うようになります。

 三番目は、たくさんの物を大切にしてきた資産家の独居老人、泳子。すごく印象的だったのが、表向きは300坪の広いお屋敷を整理整頓して片づけているのですが、古い物を処分せず保管し続けるため、何十年もの間溜め込んだ不要なモノで家中が溢れかえっていました。ストック食材もセールで購入し、そのまま期限切れになり、死後も残るくらいになるほど収納していました。

 十萬里を通して、自分が寂しさから新しい物を集め、溜め続けてきたことに気づかされます。そして、残り少ない人生の時間を有効に使わなければと思うように変わりました。高齢者ケア施設で暮らす知人を訪ね、1Kの部屋にクローゼットとベッドとテーブル、ミニキッチンだけの生活を見学し、人生の店じまいを始めます。あの世には何も持っていけないから、今の生活を楽しみましょうと。

 最後は、息子を事故で亡くし、心を閉ざし、時間が止まったままの主婦。悲しみを乗り越えるのではなく、共有することで、止まっていたままの人生の時間が再び動き始めます。最後は、片づけ以上に、心のケア、黙って寄り添うということの大切さに気づかされました。
 
 私は子どもの頃から、カバン1個にすべて収まるような生活に憧れていて...赤毛のアンが全財産を自分の小さなカバンに詰め込んでいたみたいに。
  この小説は、身の回りを整理して、スッキリさせて、大事なものを見つめ直し、今という時間を楽しみ、丁寧な生活を送るための指針だと思います。

 ただ、最近は何でも捨てる、手放すではなく、今あるものを大切にしていきたいなと感じています。断捨離で本当に大切なものまで手放してしまわないように、それだけは気を付けたいなと思いました。

 

ナディーン・ステア『もしも人生をやりなおせるなら』

 

文:ナディーンステア 絵:こがらしパレード

訳:かみひこうき 『もしも人生をやりなおせるなら』ディスカバー・トゥエンティワン

[概要]

これは、ナディーン・ステアという85歳のおばあさんが書いた詩の絵本です。優しい挿絵とともに、短い、平凡な人生のかけがえのなさを気づかせてくれます。

「もしも人生をやりなおせるなら、こんどはもっとたくさん失敗したい。おかしなことをたくさんする。一瞬一瞬を大切に生きる......」

数十年前、アメリカの片田舎に住むごく平凡な女性が85年の生涯を振り返りながら書いた一遍の詩。時代や国をこえ、感動を呼び続ける不思議な詩の絵本(本書帯より)

[感想]

 私は、落ち込んだ時本屋や図書館に行き、自分を慰める書物を探すことが多かったのですが、この絵本もその中の一冊です。

 読み終えた後、なんだか暗い場所から色とりどりの明るい世界へ抜け出したような感じがしました。

 シンプルだけど大切なこと。「生きる喜び」「小さな楽しみ」「目の前に広がっている可能性」等、忘れかけていたことを思い出させてくれました。

 それは、人から見たらおかしなことかもしれないけれど、自分に喜びをもたらしてくれるもの。例えば、スケートをする、猫とくつろぐ、素足でかけて遊ぶ…といったことです。

 ナディーンさんは、用心深く、長生きをするためにコツコツ真面目に生きて来た女性。

 そのような方からの言葉は、心に沁みます。

 実際、人生の時間を巻き戻すことはできません。私自身も、もし子ども時代に戻ったらと思うことはありますが、不可能です。

 それでも、「今」から人生を生きることはできます。だから私は、人生をやりなおすというか、過去を後悔するのではなく、過去から学んで、「未来に繋がる今」を大切にして生きていきたいなと思います。そして、人生の限られた時間を後悔や不安でいっぱいにするのではなく、楽しみやワクワクの時間で埋めたり、読書や創作などで過去の辛さを昇華させ、前に進んでいきたいなと。

本多信一『内向型人間の生き方にはコツがある』 大和出版

本多信一『内向型人間の生き方にはコツがある』 大和出版 1988年

 私がまだ10代の学生の頃に感銘を受けた本について紹介します。私は20年程前に購入しましたが、初版は1988年と30年以上前に出版された本です。

[概要]

 著者の本多信一さんは、1941年生まれ。1971年に現代職業研究所を設立し、相談業務に携わっていました。この本が出版された当時は47歳ですが、2022年3月現在は80歳ですね。

 自分の生涯は、人生問題に悩み苦しむ人々のため、内向型で学校・社会に合わずに絶望しつつ生きる仲間のために、ほんの少しでも役立つようにしようー17歳のある日、私はそう決心した。(P.3)

 本多さんは神経質で内気、過敏な神経を持ち、先行きへの不安感を抱いている人のことを「内向型」と呼び、この本は、内向型人間による、内向型人間のための生きるヒントを記した一冊であると述べています。

 そして、本書には対人恐怖や不安等で現実生活に不安を抱え、生きづらさを抱えている孤独な人々に対して、宝石のような言葉がたくさん散りばめられています。

 

[感想]

 最初にこの本を読んだのは学生時代でした。そのため、現実の社会人として直面する苦悩には正直まだピンと来ていなかったかもしれません。

 学生時代から私は孤立していました。

 友だちと呼べる子もほとんどおらず、いつも椅子にポツンと座っていて、移動教室でもお弁当を一人で食べていました。でも、勉強や空想が好きな子供だったので、今ほど辛さを自覚していなかったと思います。

 大学生の頃は勉学に夢中になったので、本書に本多さんが大学の勉強を30日集中して猛勉強したという記述があるのですが、何度も読み返した記憶があります。

 (余談ですが、同様にヘッセの『車輪の下』の勉強の箇所も当時読み返していました。)

 それでも、ふと「生きづらい」感覚には襲われ、独りで泣いていました。そしてその度、本書の本多さんの優しい言葉に助けられていた記憶があります。

 友だちになれそうな子が現れても、距離感が分からず、結局離れてしまったり、集団生活で、場の空気を読めない発言をしたり…(発達障害ASDの特徴だと後にわかり、自分も社会人になり自覚してからは気を付けるようになりました)

 唯一の親からも、「友人もいないし、興味あることも狭すぎておかしい」と責められ…辛かったです。そんな私にとって、本多さんの読書に対する以下の言葉は本当に支えになりました。

 高校、大学の頃は、私も親友を同世代の中に求めようとし、果たされなかった。そこで古人の中に心友となれそうな人を探し出し、その人たちとの付き合いの中で、私は何とか生き抜いてきたように思う。(P.168)

 生きづらい10代、20代だったと今振り返ると思いますが、そのおかげで読書の楽しみを得ることができました。

 今は前だけを向きたいので、あまり振り返りたくはないのですが、この本を読み返し、過去のいろんな事を思い出します。

 

 改めて読みなおすと、本多さんが職業相談をされていたので、社会人の方々へのヒントが数多くあることに気づかされます。私自身、今休職中で障害者雇用での復帰を目指しているので、すごく励みになりました。

 本書の生きるヒントを支えに、進んでいきたいなと思います。

 

 

 

 

住野よる『麦本三歩の好きなもの 第一集』 幻冬舎文庫

 

住野よる『麦本三歩の好きなもの 第一集』 幻冬舎文庫

[あらすじ]

麦本三歩ちゃんという図書館勤務の20代女性の何気ない日々を描いた短編集。三歩ちゃんの好きなものを通して、「平凡な日常」がどれだけ幸せであるのかを気づかせてくれる作品。

[感想]

前回紹介した『人生の使い方』同様、元気がないときに、気楽に読める作品です。何気ない平凡な日々の中にある幸せを拾って生きる、三歩ちゃんの日常を描いた作品。とても、優しい気持ちになれる作品です。何か特別なことが起こるわけではありません。ですが、忘れていた幸せに気づかせてくれた作品です。私は心が疲れていた時に読みました。ホッとする気持ちになれました。
 三歩ちゃんは、図書館で普段働いています。毎朝、本当はこんなに寒い中出勤したくない、寝ていたいと思っています。それをぐっとこらえて生活しています。職場では怒られることもしょっちゅう。でも、マイナスな気持ちにならないよう、日常に小さな楽しみを見つけ出しています。例えば、朝食に大好きなチーズ蒸しパンを食べる、朝一番の静かな図書館の空気を吸う、帰りにプリンを買う等。
 私も、日常の小さな楽しみを拾って、つくり出して、生きていきたいなと思いました。同時に、今、自分がすごく恵まれていたことにも気づかされました。

平安寿子「人生の使い方」 日本放送出版協会(NHK出版)

平安寿子著「人生の使い方」 日本放送出版協会NHK出版)

気持ちがしんどかった時に、軽い気持ちで読むことができた本を紹介します。

タイトルに惹かれ、ふと手にとった本ですが、良かったです。
人生の生きがい、ハリを求め、中年夫婦が、定年後の人生に備え、カルチャースクールでいろいろ試すことから物語は始まります。

旦那さんは明日の仕事をどうするかで胃の痛む思いをしていて、仕事で手一杯。最初は乗り気ではなかったが、次第に趣味探しをするように。

兄が脳梗塞で倒れ、一旦は呑気に趣味探しをしている場合ではないと中断するが、その兄のリハビリ生活をする中で、余暇や楽しみの必要性を再度実感します。再び、人生を楽しむこと、生き甲斐を見つけ、生きててよかったと思いたいと夫婦で趣味探しに向き合います。

奥さんは元々、パートと家事の余暇としてフラダンスをしていて、ある時、娘の学費捻出のため、フラダンスを止めるのですが、ハリ、楽しみを失い、どれだけ仲間とのフラダンスの時間に自分が支えられていたかを痛感します。

この話は淡々と進んでいきますが、生きてて良かったという楽しみ、人生のハリ、夫婦の支え合う在り方、特に、兄夫婦の脳梗塞後のリハビリ生活でのお二人の在り方は素敵だなと感じました。

私自身、まだ人生、日々の生活にビクビクしてばかりで、楽しみの境地には至っていないですが、最後の主人公の言葉を胸に頑張ろうと思います^_^

   新しいことを始めるとか、ずっと前からやりたかったけど、お金と時間の余裕がない、笑われるのが恥ずかしいなどの理由で我慢していた何かに手を伸ばすには、勢いが必要だ。
 目を閉じて、息を詰めて、「えいや!」と踏み切る。
 そして、次に目を開けた時には、、新しい世界が見えるのだ。
(P.242)

 

わたしの人生、使い手はわたしなんだから。
 頑張ろう、わたしのために。
(P.244)

 

村田沙也香 『コンビニ人間』 文春文庫 

村田紗耶香『コンビニ人間』 文春文庫 2018年

 

[あらすじ]

「いらっしゃいませー!」36歳。コンビニアルバイト一筋で働き、食事もコンビニ、夢の中でもコンビニで働く、交際歴なしの女性の物語。

「普通」とは何か?を問う衝撃作 (文庫本帯より)

[感想]

これは、古倉恵子という、ベテランコンビニ店員さんの物語です。

帯に「普通」とは何か?を問うとありますが、ここでは「普通」の言葉の意味自体が正直、限定的なものだと感じました。

周囲にとっての常識的価値基準のような。

コンビニ店内における彼女の仕事ぶりは非常に優秀です。客の小さな動きや小銭の音までキャッチして、迅速に、無駄なく振る舞い、なおかつ客を不快にさせない一歩引いた対応をしています。

手本の真似をすることが得意だった彼女は、コンビニのマニュアルを完璧にマスターしました。そして、この生き生きとした成功体験を通して、初めて「世界の正常な部品としての私」(P.25)が誕生し、生きているという実感を味わいます。

 

小さな頃から彼女は、「奇妙な子」と親や周囲から思われていました。「普通の子」になるために、何かを修正しなければならないが、その何かが分かりません。だから、余計なことを口にせず、周囲の「普通」に合わせようと「真似をして」生きてきました。

 

自分の行動や考えが、「普通ではない」といわれるため、彼女は自分を押し殺し生きていたのです。

 

ここでの「普通」は、世間にとってのあるべき子供の姿です。元気に友達と遊ぶ、死んだ小鳥を悲しみ、花をちぎってお供えする…等。

 

確かに幼少の彼女のとらえ方は、現代日本の常識から外れたものだったかもしれません。父親が焼き鳥好きだからと、死んだ小鳥を焼いて食べようと言う等…(P.12)

ただ、親や周囲の常識の中で否定され続けたことで、彼女の根底にあるやさしさや純粋な感情すべてが押し殺され、失敗体験を植え付けられ、生きづらさを助長させてしまいました。

 

小鳥を焼いて食べようといったとき、最初から否定せず、彼女の行為を理解したうえで、現代日本の常識を伝えて行けば、これだけ賢い子なので、理解できたと思います。

 

「どうして恵子は小鳥さんを焼いて食べようと思ったの?」「お父さんが焼き鳥大好きで、妹も唐揚げが好きだからか...そうだね。恵子は優しいから、お父さんや妹を喜ばせたいと思ったんだね。」

「でも、小鳥さんの気持ちになったらどうだろう?」「痛かったよね。」「大好きなお父さんや妹が死んでいたら、恵子どう思う?」そして、このように供養の事などを少しずつ伝えて行けば、また違ったのかもしれません…

これは、あくまで私が感じたことですが、自分の主観を入れずに「受け入れる」「受け止める」ことが、特に発達障害を持つ人等に対しては大切なのだと思います。

「何でわからないの」「何でできないの」ではなく。

成長過程で否定され、失敗体験を積み重ねた彼女ですが、コンビニでの成功体験から文字通り生まれ変わったようになりました。

 

物語の途中、婚活目的の男性や、地元の友達との交流が描かれ、居心地の悪さを感じながらも「普通」に懸命に合わせようとする彼女の姿が描写されています。

 

そのような世界にありながら「コンビニ」は唯一彼女が彼女らしく輝ける場所でした。

無意識化にある辛さから逃れるために「早くコンビニに行きたいな」と思うくらい。

 

紆余曲折を得て、最終的に彼女は自分が「コンビニのために存在している」(P.161)と実感します。そして、初めて「意味のある生き物」(P.161)だと思うことができました。

 

「コンビニ」は彼女にとっての「生きがい」

恵子が恵子らしく生きるためにコンビニを必要とし、コンビニも優秀な恵子を必要としています。社会の一員としての役割を果たしています。

 

恵子が言われ、感じて来た「普通」はあくまで周囲にとっての当たり前の価値基準でしかありません。

 

コンビニ店員である恵子の在り方を、「普通」として受け入れられる社会になることを願います。

 

さいごに、この本を読むとなんだかコンビニに行きたくなりました😊